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2013年9月26日 (木)

映画資金募集応援 第2弾 「いよいよ第1回開催前編」

 前回は開催に行き着くまでのいきさつでした。そして今日は2006年の第一回開催の前篇です。この年は大地の芸術祭のアート作品の一つとして行われ、50日間の会期中に何と6回も開催するというハードなスケジュールで行われました。 そして3年ごとに作られるあの名物ジャージ誕生の話を交え、その辺の詳しい内容をお届けします。

 以下、大会発案者の伊藤嘉朗さんのFB/Twitterからの引用

※記念すべき第1回開催

 ツールド妻有2006はトリエンナーレの作品でもあるので、イベントに参加していない人にもどんなことをやっているのかを知ってもらう為に全てのステージは映像に記録してすぐに編集して十日町のキナーレで流すことにしました。

 この映像には山辺義大さん(作曲家)に頼んで音楽を入れることにしたのですが、山辺さんから、ただ音楽を入れるだけではなく参加者の自転車のサドルの後ろにハンドベルをつけるという提案を受けました。

 これはすばらしい提案で、路面状況や、走っている速度等によっていろんな音楽になるし、何より音が爽やかで涼しげで辛い山道も楽しくかえてくれるのです。

 ツールド妻有2006は普通の自転車イベントとは違う仕掛けがちょっとだけありました。前回お話した映像、自転車に取り付けるハンドベルの他、展示と、オリジナルジャージをつくるということで、特にジャージはその後も続くことになります。

 展示はキナーレの片隅を使い、でっかいコースマップとセットで5つのコースの模型を高低差だけ10倍にデフォルメして、「重力の彫刻」と名付けたのですが、これは子供がおもちゃと間違えて遊ぶので配置はいつもめちゃくちゃでとんでもないところに行ったりしていました。

 ここにモニターをおいて映像を流し、実際に僕が乗る自転車も展示しました。 ツールド妻有開催時にはこの自転車はなくなることになっていて、僕としては自転車をわざわざ東京から持っていかなくてすむので都合が良かったのです。

ツールド妻有ジャージについて

 ツールド妻有の名物の一つにもなっているお揃いのジャージですが、これは賛否両論で自分たちのチームジャージで参加したい人や、ツールド妻有のジャージが 気に入らない人もいるでしょう。いずれにしても他の自転車イベントにない特徴的なものでこれが目当ていう人も多いのです。

 当初このジャージのデザインは僕が自分でやるつもりでしたが、それだとツールド妻有というイベントのスケールがなんだかこじんまりとしてしまいそうで、僕じゃない誰かにやってもらうのがいいと考え始めました。

 あのころは今と違って自転車用のウェアなどはあまり良いデザインのものは多くない時代でしたが、そんななかで手のひらのマークがついた「バンザイペイント」というブランドのアパレルはちょっと違っていました。

 このデザイナーに頼めたらきっと面白いと思い、原宿のショップの店員さんに聞いてデザイナーの立沢さんに突然電話したところ、すぐに会いましょうということになりました。

 ツールド妻有はそれ単体で一つの作品、またはイベントとして成立しているつもりですが、これにいろんなものをくっつけられるプラットフォームみたいなものとぼくは考えています。今あるエードステーションも地域の方が参加できる仕組みだし、

 スタート・ゴールゲートや、コース案内板などの他、まだまだ手をつけていない部分が沢山残っています。コースは120kmもあるのだからいろんな可能性があります。 ジャージもその中の一つで、ツールド妻有らしさを出す重要なファクターになっています。

 第1回の'06年には唯一のチャンピオンジャージ的な設定だったので僕一人だけが黄色いジャージを着て走ることにしていました。 いわば架空のステージレースの架空の総合チャンピオンです。

 いわば架空のステージレースのチャンピオンです。全ステージに参加したのは僕だけですから当然総合リーダーは僕ということになるのだけれど,この自作自演的なチャンピオンジャージ着用、これを立沢さんはすごく気に入ってくれたようで、すぐにこの提案を受けてくれました。

 このときの二人の打合せはそんなに長い時間ではなかったと思いますが、とにかくコンセプトをお話しして、デザインは完全に立沢さんにお任せしました。僕は当初ジャージの色を何となくブルーで考えていました。サッカーのラツィオのジャージのような明るいブルーです。

 トリエンナーレのカラーがイエローなので、避ける意味もあったし、イエローはツールドフランスのイメージが強いと思ったからです。その話はしたのですが、 立沢さんは緑の中で目立つとしてあえてイエローを選んだようです。走っている映像を見てみるとこれは正解だったと思います

 第一回のツールド妻有にはまるまる2年の準備期間を費やしましたが、これは決して長くはありませんでした。この間妻有のありとあらゆる道を走り回ったので、地元の人に妻有出身だと勘違いされるまでになっていました。

 当初コースは5つでしたが、最後にサイクリング協会の人たちと走るスペシャルステージを閉会式に設定することにしました。 風景、作品などを考慮してコースを決定し映像につける音楽を山辺義大さんに提供してもらった上ハンドベルを自転車につけるというアイデアまでいただき

 ジャージはバンザイペイントの立沢さんにデザインしてもらい、撮影はこへび(トリエンナーレのボランティア)の小暮さんにお願いし、十日町市役所の西野さんと、アートフロントギャラリーの石井さんに車で伴走してもらう、ということでツールド妻有の形がほぼ完成しました。

 あとは、一般募集の参加者たちと実際に走るのみ、という状態までたどり着くことができました。 と言いながら実は、トリエンナーレ開幕日になっても、コースの一つである魚沼スカイラインが雪で通行止めの状態でした。

 2006年の妻有はトリエンナーレ開幕直前まで、ずーっと雨でした。水量が増え見慣れた信濃川の川幅と比べずいぶんと太く、水は速く流れ、濁っていました。 前日にコースを車でまわり、休憩場所、作品、撮影ポイントなど再確認ながら雨の中を走るのは嫌だななどと思っていました。

 当日は、僕の記憶が間違っていなければ朝まで雨が降っていたように思いますが、トリエンナーレの開会式前から雨が上がり、そんなに晴れなくても、というくらい晴れてしまい、それ以降、閉会式までツールド妻有は一度も雨に降られることはありません。

 トリエンナーレの開会式ではいろんな作家やボランティアや地元の方たちに会えるので楽しみです。 00年の公開審査以来の付き合いの本間純さん、鉢でのワークショップに参加してくれた関口さん、同期の小沢剛さんなど、みんな久し振りなのでテンションが上がっていきました。

 直後にツールド妻有第1ステージがスタートするので、例のチャンピオンジャージを着用してコスプレ状態での参加です。ちょっと恥ずかしかったのですが、日比野克彦さんの「明後日新聞」のチームもみんなお揃いのポロシャツできていたので少し安心しました。

 ジャージのおかげで、僕の作品の隣に能舞台を作ったドミニクペロー氏から「チャンピオン」とか「マイヨジョーヌ」とか話しかけられ「これが俺の作品なんだ」とか、「あなたの作品の隣に僕の作品があるんですよ」などと説明したりできたので更にテンションは上りました。

 

 次回は2006年の第一回?というか第一回の6回開催についてをお届けします。

 

 

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